群馬県桐生市、足利幕府が滅んだ戦国時代から存在してたとされる忍山温泉(おしやま温泉)へ探検ツーリングした様子の第二弾完結編
第一弾では、
奥の湯元 三光館、おそらく今廃旅館となってる山光館の前身ではないかと思われる場所を発見、大浴場の湯屋まで見つけたが、「温泉神社」と「源泉跡」わからず・・・・
第二弾では
「温泉神社」と「源泉跡」の様子
言い伝えや歴史に出てくる忍山温泉は、桐生市梅田町にあった。江戸時代には数軒の宿もあったらしいとされる温泉地だが、温泉が出る、出ないの繰り返しの歴史もあったようで、今現在は、消滅してしまった温泉地である
江戸時代幕末の武士、尊王思想家でもあり、京都三条大橋の袂に像がある、現群馬県太田市出身の高山彦九郎が記した「忍山湯旅の記」にも出てくる忍山温泉
*「忍山湯旅の記」は1775年日記 (安永4年7月29日~8月13日)原本は宮内庁蔵
叔父の萬郷君・源七との三人で桐生の梅田にある忍山の湯に湯治に行く。4日後、従弟の蓮沼政徳が加わる。
今は民家になっている「忍山鉱泉湯元 忍山館」この旅館の近くに、お湯が湧き出ていた忍山温泉神社があると推測
一緒に探検くれる仲間も加わりセロー、クロスカブ、ADV150の三台で探検林道ツーリング